傾聴でクライアントの役に立たなくてもいいという信念を持つこと

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カウンセラーにしろ、話の聴き手にしろ、傾聴において、クライアントの役立ちを求めてしまう人ってかなり多いです。むしろ、役に立たないという信念を持ちましょうと言いたいです。別にクライアントの役に立たなくていいのです。役に立とうとするから聴き方が不自然になってしまいます。結果的に役に立ったらいいなと思うのは構いませんが、役に立つことを目的にすると欲が出てしまい、本来の傾聴の目的から外れてしまいます。

 

傾聴自体はクライアントの役には立たないと見切りを付け、役に立たなくてもいいんだという信念を持つことに実はとても大きな意味があるのです。

 

そこで今回は、傾聴をすることでクライアントや話し手の役立ちを考えている人が、無心で傾聴をするだけで十分であるということをご理解いただけたらと思います。

目次

何故、傾聴でクライアントの役に立たなくてもいいのか?

人の役に立ちたいという欲は要らない

一般的に人に対しての役立ちを追求すると、欲が出て本来の軸がブレてしまいます。なぜならば、役に立ちたい(願望)→役に立つ人間でありたい→役に立つ人間と思われたい→役に立つ人間と思いたい、という具合に自分自身への願望が、他人に投影されてしまうからです。これは相手にとってもとても迷惑な話です。「役に立ちたい」が目的になると、例えば好かれることや笑顔を見ることが目的になってしまいがちです。

 

そうなると、傾聴の本来の目的である「支える、寄り添う、そのまま理解する」という軸がブレてしまい、喜んでもらうために、共感ではなく同感をしたり、又は同調して見せたり、そして元気づけて笑顔を出させようとします。そうなると軸がブレたカウンセラーや聴き手は、提案やアドバイスを押しつけたりします。これはすべて「役に立ちたい」という欲のなせるわざですが、カウンセラーや聴き手はそんなことには気が付きません。「相手のために」と言いながら、実は自分の中の問題を投影しているのです。こうなると危険です。

役に立たなくても生きている価値があることに目を向ける

そうならないためには、どうすればいいかというと、一生懸命聴こうが、関わろうが、「たいして役には立たない」と認識することで、変な欲に左右されることなく本来の目的を見失うことなく聴くことができます。「役に立っていないという信念を持とう!」と言うと、「自己肯定感が低いですね」などと言ってきたりしますが、これは全く逆の話です。

 

役に立っていないという信念を持つことは、「役に立たなくても生きている価値がある」と思えるからこそできることなんです。他人からの承認を得ないと、自己肯定できないほうが、よほど自己肯定感は低いです。結果的に役に立てばいいなと思うのは構いませんが、役に立ったかどうかは結果であって、本来カウンセラーや聴き手にしたらどうでもいいことなのです。クライアントや話し手が楽になればいいだけで、自分が役に立ったか?笑顔になってもらえたか?感謝されたか?などということはどうでもいいことなのです。

 

要するに、「支える、寄り添う、そのまま理解する」という傾聴の目的を一生懸命やることだけに集中すればいいのです。

役に立たない位で丁度いい

別に、役に立つことを追求する必要は無く、「何となく気持ちが晴れました!」と言われるくらいで丁度いいのです。役に立つことを目的にすると、自分が好かれることが目的になり軸がブレます。それでもみんな人から好かれたいという欲求があります。でも、人を支援するときの好かれたい理由が、相手のための支援なのか、それとも自分が喜びたいだけの支援なのかよく分からなくなってしまいます。

 

そしてその違いを自覚できないまま支援をしている人がかなり多いです。なので、支援をする役割がある人ほど役に立たないという信念をもって聴くのが丁度いいのです。不思議なことなんですが、役に立たない自分を承認して聴けているときの方が結果的にクライアントや話し手が元気に自立していってくれたりします。ぜひ、役に立たっていないという信念を持って聴いてみてください。肩に力が入らず楽にいい聴き方が出来るようになります。

 

併せて、傾聴とは?の記事もご覧ください。

 

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