目次
学校の場での傾聴カウンセリング
学校とは、こどもたちがこれから生きていく上での色々なことを学ぶ場所であり、国語や算数といった単なる勉強だけでなく、人との付き合い方なども自然と学んでいきます。得られる物が本当に数多くある一方で、人との付き合いがある以上、どうしても意見の衝突や、いがみ合ったりしてしまうことがあります。
今回の記事ではそのことと傾聴カウンセリングのことについて書いていくのですが、今回のお相手は生徒ではなく、先生です。実は生徒と同様に、先生たちも色々な悩みを抱えています。
先生という立場の悩み
今回悩みを打ち明けてくれたのは、私の知人の田村さん(知人ですが、今回の記事ではさん付けをさせて頂きます。)という方で、埼玉で小学校の先生をやっています。大学卒業と同時にそのまま教員となり、その2年後に結婚をして、現在奥さんとお子さん1人で、特に不自由のない生活を送っています。
そんな彼の悩みというのは学校でのことでした。ですがその内容というのは、同じ教員のことでもなく、あるいは自身が受け持っている生徒のことでもなく、生徒の保護者だというのです。くわしく話を聴いてみると、あるひとつの出来事が悩みのきっかけになっているようでした。
学校での悩みを傾聴していく
それは運動会に向けての体育の授業のことです。その日はかけっこがあり、そこで足の速かった生徒何人かが、運動会当日にリレーの選手として出られる、というものでした。そのため、田村さんも事前にそのことをプリントで渡して保護者の方々に生徒経由で渡していました。
ですが当日、クラスの中でも足の速い男の子が、かけっこ用の靴を忘れてきてしまいました。靴にはサイズなどがあるため他の生徒に借りる訳にもいかず、普通の靴で走ったのですが、その影響もあってかあまり速く走れず、リレーの選手にはなれないという結果に。
ここまでは何事もなかったようなのですが、問題はその後でした。後日その男の子のお母さんから連絡があり、「うちの子がきちんとした靴を履いていたらリレーの選手に選ばれていたはずだから、もう一度走らせて!」というのです。すでに選手は決まっていますし、授業の内容を変えてもう一度してしまうと、その後のカリキュラムにも影響が出てきてしまいます。
ですが頑として折れなかったようで、田村さんはもう一度授業で選手決めのかけっこを行うことに。その男の子はリレーの選手になったのですが、もちろん先に選ばれていた子が代わりに落ちてしまいました。
この一連のことがあって、「一人の保護者の意見に合わせてしまってよかったのだろうか」「2度目の選手決めで落ちてしまった子に申し訳ない」と、かなり自分を責めていたようです。
解決を無理に探さない傾聴カウンセリング
知人から私への相談という形ではありますが、こういうところでも傾聴カウンセリングをしっかり活かさなければと思い、引き続き話を聴いていました。
今回の悩みは、田村さんの中ですでに明白になっていて、あとはどう前向きに気持ちを持って行くか、という段階でした。私目線から言ってしまえば、保護者の方が事前に知っていたにも関わらず、かけっこ用の靴をこどもに持たせるのを忘れてしまったのが原因です。
なので田村さんがその責任を感じてしまうことはありません。ですが先生という立場からはそれを主張することができないため、気持ちのおき所を見失ってしまいます。
ちょっとした「理不尽」が降りかかってしまった今回のケースですが、このような場合にはシンプルな解決方法が無い一方で、誰かにその理不尽さを聞いてもらうことで、気持ちが楽になるというのがほとんどです。
そして私の場合は、ただ聞くだけではなく、傾聴という意識を持って聴くことができます。一見違いは無いのかもしれませんが、結果として私に悩みを打ち明けてくれた田村さんは、かなり気持ちが楽になった、とのことでした。
今回は相談者ご本人がすでに悩みを明確にしていて、それでも職業や立場上解決策を見つけられないというレアなパターンでしたが、そういう状況でも傾聴カウンセリングというのは役に立ちます。傾聴カウンセリングの大きな特徴のひとつに、「絶対に解決策を見つける必要はない」というのがあるので、今回も解決策を見つけることに固執せず、田村さんにしっかりと傾聴という形で向き合って、解決への糸口を探っていきました。
併せて、病気を持つ方への傾聴カウンセリングの記事もご覧ください。
この記事へのコメントはありません。