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LGBTと傾聴カウンセリング
今回はとても難しい話題を扱っていきます。タイトルにも書いてある通り、LGBTと傾聴カウンセリングの繋がりについてです。
LGBTへの理解や差別をなくす、というテーマは今かなり注目されていて、政府も法案にしようとしているほどです。その辺りも含めて、あくまで私自身の意見を織り交ぜつつ、書いていきたいと思います。
LGBTと私の体験談
そもそもLGBTとは何なのでしょうか。
“レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダーの頭文字から来たものですが、その他にも様々な性的マイノリティの総称として使われます。”
LGBT理解増進会(リンク先→LGBTって何? (lgbtrikai.net))では以上のように説明されていました。レズビアン・ゲイは、女性・男性同士の同性愛。バイセクシュアルは両性愛。そしてトランスジェンダーは出生時に届け出た性別とは違う性別の人。それぞれ世の中からの認知度は上がったものの、そこに理解が追い付いているかというと、まだそこまでには至っていないのではないでしょうか。
さらに日本の政府に目を向けてみると、『LGBT理解増進法(正式名称:性的指向および性同一性に関する国民の理解増進に関する法律)』を創ろうとしています。LGBTに関する理解を深め、広めて、そこから緩やかに差別を無くしていこうというものです。あえて差別禁止法という強力なものにしないのは、即効性がある反面、反発や対立を生みやすいといった理由があるからのようです。
ではこのLGBTと傾聴カウンセリングとはいったいどのように関わってくるのでしょうか。私自身の体験を含めて続けていきます。
まず、私自身はLGBTではなく、男性として女性を恋愛対象としています。ですが、私が学生の頃、そういった友人が一人いました。ここからは私自身の当時の素直な考えや気持ちを書くため、受け取り方によっては不快に感じるかもしれません。その上であえて当時のまま文字におこしますので、ご了承ください。
もちろん当時はLGBTという言葉は無く、性的マイノリティという概念すら広まっていなかったので、その友人に対しては、「女の子っぽい動きや言葉遣いだな」と思う程度でそれ以外には特に何も思っていませんでした。クラスも一緒だったのでその友人も含めよく遊んでいましたし、仲間内には偏見や差別といったものは微塵も存在していませんでした。
私が引っ越して会うことがなくなってからずいぶん経って、その友人をたまたまFacebookで見つけました。そこで彼は、自分をゲイだと明かしたうえで、過去の体験も語っていました。それは、
「高校生の頃、知らないおじさんに公園のトイレに引っ張られて乱暴された」
というものです。その時すでに私は引っ越していましたし、それ以降会っていなかったため、その事情を知る由もありませんでした。友人はその日をどんな気持ちで過ごし、それからどんな気持ちで生きてきて、そしてどんな気持ちでFacebookで公表したのか、私にはとても考えは及びません。ですが、私が考え付かないほど悩み抜いたということは、容易に想像ができます。
傾聴カウンセリングがありふれた存在になってほしい
世の中に認識や理解が広まっていない今回のようなことは、誰に明かしていいのか、またはどのように明かしたらいいのか、とても難しいです。打ち明ける相手によっては理解されないかもしれないし、打ち明け方によっては理解がずれてしまうかもしれない。
ですが、こういうところにこそ、傾聴カウンセリングというものがありふれた存在であればなと思っています。ごく普通に周りに傾聴をしてくれる人がいて、傾聴カウンセリングというものがある。傾聴カウンセリングが確立していれば、きっと話しやすくなりますし、相手のお言葉からさらに理解を深めようと傾聴をします。
こちらから無理矢理話を聴こうなんてことは絶対にしませんが、やはり身近に傾聴カウンセリングというものがあれば、悩みへの向き合い方、そして頼り方も今よりずいぶんと変わってくるはずです。
ここまで話してきましたが、おそらく傾聴カウンセリングは、LGBTよりもまだまだ認識が広まっていない存在です。だからこそ認識・理解が広まってほしい気持ちは同じですし、共に広めていけるならば、それはとても素晴らしいことだと感じています。
併せて、傾聴とは?という記事もご覧ください。
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