傾聴の目的とは事実関係と気持ちを丁寧に区別しながら理解すること

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とある研修会場でご一緒した方からこのようなご質問をいただきました。「傾聴って、結局のところオウム返しをしていればそれでいいんですよね?」これは明らかに間違いです。確かに傾聴は相手の話を聴くことではありますが、傾聴=オウム返し、というわけではありません。周りから見ると、聴き手の様子を見ていると、話を聴いているひとつのサインとしてオウム返しをしていることも普通にあります。ただ、これは話を聴くことを通して、相手の気持ちを理解するために行っている仕草に過ぎません。

 

傾聴を通して、色々な話が出てきますが、この話の中には事実関係の説明と話し手の気持ちの2種類ありますので、事実関係の説明のときに聴き手がオウム返しをし過ぎると、話し手からするととても不自然な場になり、聴き手に対しての信頼感が一気に失われていきます。話を聴いてもらっていない、という感覚を抱きやすいので注意が必要です。

 

そこで今回は、本来の傾聴のあるべき姿を明確にし、聴き手がどのようなスタンスで話し手に臨めばいいのかについてご説明いたします。これを読めば、傾聴の目的を理解し、話し手が無垢な気持ちで傾聴に臨むことが出来るようになります。

目次

もう一度、傾聴の目的に立ち返る

オウム返しは傾聴ではない

まず、もう一度申し上げますが、オウム返しをすることが傾聴の基本だと思っている人がある一定数います。ですが、これは間違いです。歴史を遡れば、これはまさに1950年代前後に傾聴を提唱したアメリカの心理療法家カール・ロジャーズ自身が誤解に悩まされたことがあるそうです。表面上、たまたま必要性があってオウム返しをしている所を見て人は判断するところがあるので仕方ありますが、オウム返しをすることが傾聴ではありません。

 

表面上、見えている行動の前に「目的」というものがありますので、それをしっかりと認識しておかないといけません。そこで、本来の傾聴の目的について考えてみたいと思います。

傾聴の目的とは?

それでは、傾聴の目的とは一体何なのでしょうか。説明の仕方は色々とあるかと思いますが、私なりにここでまとめてご説明いたしますと、「気持ちを理解し、気持ちの主たる状態に携わる」ことです。「気持ちを理解しよう」とするプロセスの中で、黙って話を聞いているように見えるときもありますし、繰り返しをしているように見えることもあります。繰り返しはオウム返しと一緒ではありません。ここも誤解の無いようにしてください。

 

あくまで「気持ちを理解しよう」とするための具体的な「何か」をしている「結果」に過ぎないのです。傾聴しているとき、オウム返しをしているように見える行為は、気持ちのワードを聴き取り、気持ちに反応しながら気持ちの主たる状態に携わるということなのです。

傾聴で言うところの「気持ち」とは?

ここで言う「気持ち」についても少しご説明いたします。傾聴でのやり取りを含めて、コミュニケーションとは、「事実関係」と「気持ち」の両面が合わさって成り立っています。この前提が抜けていると、繰り返しをしたくても正しい繰り返しはできません。ただ耳に入ってきた言葉を、ただオウム返してするだけでは「事実関係」と「気持ち」の区別することなく適当にやり取りに反応しているだけで何にもなりません。

 

「気持ち」とは、「事実関係」ではないもの全てが当てはまります。話を聴く上で、「気持ち」の部分と「事実関係」の部分を丁寧に分けながら理解していかなければなりません。この区別が出来るようになると、自然と繰り返しが出来ていることになります。オウム返しは、話し手の話を聴き手がただ何も考えずに繰り返しているだけなので、やっている行為は全然違ってくるのです。

 

何のために傾聴をするのか、この目的についてきちんと理解することがとても重要です。この目的さえ理解できれば、経験値が少なくて粗削りな傾聴になったとしても、話し手からするととても安心して話をすることに没頭することが出来るのです。このゾーンに入ってくれば、聴き手の役割は結果的に全うしたことになるのです。「気持ちを理解すること。」是非、意識してみてください。

 

併せて、傾聴とは?の記事もご覧ください。

 

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