傾聴をしていると、何故言いたいことを我慢して言わないと苦しくなるのか?

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傾聴とは黙って話を聴くことだと思っている人が多いです。確かにそのように見えるのかもしれません。クライアントや話し手の内面に心を委ねているので、あえて余計なことは言う必要がないから言わないのですが、この状態を第三者から見るとシンドくて苦しく見えるのです。カウンセラーや聴き手の立場からすると、果たして本当にそうなのでしょうか。決してそんなことはありません。特に経験を積んでいるカウンセラーや聴き手であれば尚更です。

 

ただ、同じカウンセラーや聴き手であっても、そこまで経験を積んでいない方であればどうしても言いたいことを我慢して言わないのはシンドくて苦しいものなのかもしれません。カウンセラーであればもちろんですが、様々な環境にいる聴き手という立場の人はいづれにしても経験を積んで壁を越えていかなければなりません。

 

そこで今回は、傾聴をしていると、何故言いたいことを我慢して言わないとシンドくて苦しくなるのか?についてご説明いたします。これを読めば、言いたいことを我慢して言えない苦しさの正体が分かり、余計なことは言わないからこそカウンセラーや聴き手は穏やかな気持ちで傾聴ができるようになります。

目次

何故、言いたいことを我慢して言わないと苦しくなるのか?

そもそも我慢して聴くべきか?

確かに傾聴をしている人を見ると、余計なことは言っていないです。だから表面上真似をして振舞っていても、聴き手の内面が整っていないと苦しくなります。特に人の話を聴くことを専門的にやってきていない人ならば当然のことです。カウンセラーであれ聴き手であれ、人である以上はみんな感情を持っています。まずはここを受け入れる必要があります。感情を抑圧するから苦しくなるのです。

 

この記事を読んでいるあなたは、自分の子どもや部下、そしてパートナーなどどんな立場の人が相手であっても、言ってはいけないことを言った後には後悔の念が残っているはずです。我慢して抑圧した感情は最終的には崩壊します。だから我慢して聴くこと自体が問題なのです。

抑圧した感情の行き着く先

では、何故抑圧した感情は崩壊するのかと言うと、感情自体があなた自身だからです。そしてこの感情を抑圧するということは、自分自身を抑え込むことになるので、完全に自己否定していることになるのです。これはどういうことかと言うと、あなたの中にもう一人のあなたがいると考えると簡単に理解できます。

 

目の前にいる話し手のことは大事にするのに、もう一人のあなた自身のことは否定し、黙らせると、「自分が否定した自分」が不満を持って怒り出すのは自然のことです。心理的な抑圧は必ず心理的崩壊に繋がっていきます。相手の気持ちを認めたいと思っている人が、自分の気持ちは認めない人だったりします。自分の気持ちを傾聴できない人が他者の気持ちを上手に傾聴できるということはありません。

言いたいことを我慢して言えない苦しさの正体とは?

傾聴とは人の気持ちを理解し、人の気持ちを受け止めていくことです。ということは、自分の気持ちを理解し自分の気持ちを受け止めることが出来る人ほど人の気持ちを分かることが出来るのです。言いたいことを我慢して言えない苦しさの正体とは、「自己を否定しながら他者を肯定しようとする相反した感情」です。

 

他者への傾聴が上達していく過程においては必ずその手前に自分への傾聴力の上達があります。自分を傾聴できるということは自分が受容、共感され楽になるということです。楽な自分をもって人のことも傾聴した方が穏やかな心で傾聴が出来ると思いませんか?傾聴がうまくできないと悩んでいるあなた、あなたは自分の心の傾聴できていますか?よかったらここを考えてみてください。

 

併せて、傾聴とは?の記事もご覧ください。

 

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