最近、少しずつですが、傾聴について耳にする機会が増えてきました。そんな中、傾聴についての疑問を聞きました。具体的には、「聴いているだけでは治らない」「聴いているだけでは問題解決には繋がらない」「カウンセリングはもっと積極的にクライアントに関わってもいいのではないか」といったところでしょうか。確かにもっともだなと思うものもありますが、そうじゃないものもあります。論争をするつもりはないので、特にこれ以上は申し上げませんが、おそらく何のために傾聴をするのか、ということが正しく伝わっていないことは確かではないかと思います。
聴いているだけでは問題解決には繋がらないというのは、元々傾聴は問題の解決が目的ではないのです。問題の解決を考えているならば、カウンセリングを受けていただくことが一番です。カウンセリングはもっと積極的にクライアントに関わってもいいのではないかということですが、これはまずカウンセリングはクライアントの自主性を尊重し、クライアントの中に答えがあるというスタンスですので、カウンセラーはクライアントから答えを引き出すことが役割となります。
ただ、カウンセリングにもいろいろと流派もありますし、カウンセラーによって考え方がありますので一概には言えませんが、最近はカウンセラーが積極的にクライアントに関わっているケースも増えてきました。あと、コーチ寄りのカウンセラーもいますので、最終的にはカウンセラーの専門性や考え方、そしてカウンセラーとの相性で決まってくるものだと感じています。
話が少し逸れましたが、いずれにしましても何のために傾聴をするのかということに目を向けていかないとこれらの疑問は解消しないかと思いますので、今回はこの点についてカール・ロジャーズの思想から考えてみたいと思います。これを読めば、傾聴の目的が分かり、傾聴無くしてカウンセリングが成り立たないということをご理解いただけます。尚、カール・ロジャーズの思想についての記事はこちらをご覧ください。
目次
傾聴の意味をもう一度見直す
カール・ロジャーズの傾聴(カウンセリング)の本質は、一つのマニュアルがあってそれに即して対応するものではなく、「体験を十分に体験しつくすこと」「クライアントが暗黙のうちに体験しているような体験を、ひとりでは到底不可能なやり方で、より深くより広く探索しながら、自らの体験を十分に体験しつくす」というプロセスにあります。
カウンセラーはクライアントが自分の言葉にならない曖昧なぼんやりとした体験を、より深くより広く探索しながら体験しつくすことができるようなやり方で聴いていく。そのためにクライアントの内側に入って、クライアントになりきったかのようにその体験を、より深くより広く共に体験していくことになります。この姿勢がクライアントに伝わるので、クライアント自身も自分の体験に深く入ることができるようになります。そういう意味では、カウンセラーはクライアントの内的な自己探求の旅の同伴者になります。
ところが、最近では傾聴がちゃんとできないカウンセラーが増えてきているのも事実です。たくさんの技法や理論を知っていても、基礎になる傾聴ができない、傾聴の体験すらしたことがないというカウンセラーが多くなっている気がします。数十年前のカウンセラーと比べても、技法の知識量は増えていますが、傾聴力は落ちています。
いろんな技法は知っていても、その技法と相性がいいクライアントには有効であっても、そうではない人だと何の価値も見いだせないということになります。カウンセラーは決してそうであってはならないと思います。クライアントの内側に入って、クライアントになりきったかのような体験をカウンセラーがしていないということであれば、それはカウンセラーが傾聴をしていないということ、もっと言えば傾聴ができないということと同じことになります。クライアントにしてみれば、いくら話をしても分かってもらえない、分かってもらえたように思えないということです。
ということで、「聴いているだけでは治らない」「聴いているだけでは問題解決には繋がらない」「カウンセリングはもっと積極的にクライアントに関わってもいいのではないか」という疑問があるのは、何のために傾聴をするのかという問いにカウンセラーが応えきれていないということです。
ただもう一方では、学校や幼稚園そして保育園の先生、医療従事者、介護従事者など、人の話を内面まで含めて深く聴くことができるようになりたいと思っている人も多く、傾聴は多くの人が学ぶべき対人関係の基本スキルとして広く認められています。改めて、ここで傾聴の意味をもう一度見直すべきであると考えます。
何のために傾聴するのかを考えることの大切さ
傾聴が大切、相手の話を丁寧に聴くことが大切である、ということは分かるが、それが「何のために」と問われると、よく分からないという方は多いのではないでしょうか。カール・ロジャーズは傾聴にはどんな意味があるのか、カウンセラーは何のために傾聴することが必要なのかについてご説明いたします。カール・ロジャーズの代表作『オン・ビカミング・ア・パーソン』の「第4章 心理療法について何を知りえたか」に、傾聴は「何のために」行うのかが書かれています。
「治療的な関係をしばらくの間経験したクライアントの変化は、セラピストの態度を反映したものになっていく。クライアントは相手が自分の感情を受容的に傾聴していることに気付くにつれて、少しずつ自分自身に耳を傾けるようになっていく」
一言で言えば、ここに傾聴の意味があります。
カウンセラーがクライアントの心の動きに寄り添いながら、心を込めて傾聴する。そうすると、そのカウンセラーの姿勢を今度はクライアントが反映するようになっていく。カウンセラーに自分の気持ちを聴いてもらっているうちにクライアントは「自分の気持ちを聴く」ということを学ぶようになっていく。クライアントは「自分自身への傾聴」を学ぶ。そのことがクライアントの変化を引き出していく。傾聴する意味はここにあるのです。
つまり、それまで自分自身に対して否定的だったクライアントが、カウンセラーが自分に対して接するようなやり方で自分自身に関わっていけるようになる。要するに、自分自身への関わり方が変わるのです。傾聴する意味はここにあるのです。
ここがつい忘れがちになってしまうのですが、ここが大事なのです。「クライアントが自分自身を聴けるようになるため」の傾聴である、ということを忘れて、ただひたすらクライアントを受け止めよう、理解しよう、聴いていこう、としてしまいがちです。
聴いてもらっているうちに自分でもそれまで気付けなかった自分の気持ちに気付けるのが本来の傾聴ですが、ただ受け止めて欲しい、分かって欲しい、聴いて欲しいと何度もカウンセラーのところに来ても、クライアントが自分と向き合わず、自分から目を背けてしまっては変化は起きないのです。そして、クライアントが話の山場になると話をすり替えて、カウンセラーに依存することになってしまい、意味が無いものになってしまう。これでは本当の傾聴にはならないのです。
こういうことになるから、「聴いているだけでは治らない」「聴いているだけでは問題解決には繋がらない」「カウンセリングはもっと積極的にクライアントに関わってもいいのではないか」という疑問が生まれてしまうのです。クライアントがカウンセラーに依存を促すような傾聴はカール・ロジャーズの思想からも外れています。
カール・ロジャーズが考える傾聴の意味とは、クライアントが「受け止めて欲しいこと」や「分かってもらうこと」や「聴いてもらうこと」にあるのではなく、傾聴してもらうことでクライアントが「自分自身の内側への傾聴を学ぶ」ことにあるということです。「自己への傾聴」を学び、自分自身の心の声を聴いていける自立した人間へと成長していくことを援助することに傾聴の意味がある、とカール・ロジャーズは考えているのです。
ですが、逆に言えば、カウンセラーがクライアントに依存させてしまうような傾聴(カウンセリング)は、「自己への傾聴」を学び、自分自身の心の声を聴いていける自立した人間とは程遠いものになってしまうので、傾聴(カウンセリング)としては失敗ということになります。こうならないように注意しないといけないです。常に傾聴の目的を忘れることのないようにしなければならないのです。
自分自身への傾聴とは自分の深みに触れる体験
傾聴の目的を意識しながら傾聴をすると、初めはクライアントは自分自身を聴くことを怖がりますが、自分が深いところで何を感じているのか、どうしても知りたくなり、恐る恐る自分自身を深く掘り下げ、自分自身に耳を傾けていきます。これはクライアントにとって恐ろしいことかもしれませんが、同時に少しずつ大丈夫だと感じられていきます。なぜならば、側にカウンセラーという信頼できる同行者がいるからです。
自己の深みに触れる体験なくしてカウンセリングとは言い難いのです。そして、それは他ならない傾聴によってもたらされるものであることを忘れないで欲しいです。
併せて、傾聴とは?の記事もご覧ください。
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