一般的に人は相手の話を聴くときに、疑問を知りたいという想いを抱きながら聴く傾向が強いと言われています。疑問を知ることで、相手のことをより一層知ることが出来るので、嬉しかったり、安心したりと言った一種の謎解きのような感覚なんだろうと思います。客観的に考えてみると、とても不思議で面白い感覚とも言えます。それだけ人は相手のことが知りたいのです。
でもこれは、よく言えば相手に興味があるということですが、悪く言えば相手を質問攻めにしてしまい、相手を疲れさせてしまうことにもなります。一般的な会話であれば、ある程度は仕方ないのかもしれませんが、傾聴に限って言えばちょっとどうかな?という感じです。確かに、傾聴は相手の話を聴くことがメインではあります。話の途中で相手のことを理解するために確認の意味で質問したりしますが、質問の仕方によっては、相手は質問攻めと思ってしまうので、これだと本末転倒です。
そこで今回は、傾聴では「何故?」という視点ではなく、「何か」という視点を意識して聴くことについてご説明いたします。これを読めば、一般的な会話やコミュニケーションと傾聴の違いがはっきりと分かるので、より一層聴き方に拘りを持って傾聴をすることが出来るようになります。
目次
「何故?」ではなく、「何か」を拾うように聴くのが傾聴である
「何故?」は原因追及でしかない
あなたはきっと「何故?」という視点で、人の話を聴いていることが多いように思います。これはあなただけではなく、誰しもそうです。「何故?」というのは「原因」や「理由」の追求になります。もし相手に「何故?」をそのままぶつけてしまうと、行き過ぎると質問責めにしてるように思われます。「何故?」は聴き手が納得できないから納得したいというコミニケーションになります。傾聴とは、原因とか理由を知りたいわけではありません。
「何か」を大切にしながら聴く
相手が抱いている感情や考え、そして行動について、きっとその人ならではの想いがあるはずです。これは「原因」や「理由」ではなく、そこにきっと「何か」があるのです。「何か」と言うと、はっきりとしたものではないので、人はストレスを感じてしまうかもしれません。これは脳が持つ本来の役割から考えると、はっきりと把握できるものでないと分かりにくいのです。それだけ人は分かりやすい方がしっくりくるのです。
しかし、人の心は本来そんなに分かりやすいものではなく、複雑な想いが絡まり合っています。傾聴は複雑に絡まり合っている想いをそのまま受け止めるものであって、白黒はっきりと片を付けるというものではありません。分からない想いは分からないでそのまま受け止めることが大切になります。そのためには「原因」や「理由」を分かろうとするのではなく、まず「何か」があるであろうという想いを受け止める力が必要となります。
「何か」に着目することが人間的理解の基本
相手の中にある「何か」がどんな感情なのか、どんな思えなのか、どんな行動になったのか、という具合に相手の内側にある「何か」に着目します。これが人間的理解の基本になります。人間的理解に興味を持つと、聴き手が求めてしまう「原因」や「理由」から解き放たれ、聴き手も穏やかな気持ちで聴けるようになります。深く相手の心に関わりたいのなら、内面的な「何か」を拾うように聴くのが良いです。良かったら試してみてください。
併せて、傾聴とは?の記事もご覧ください。
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