前回、小山田圭吾騒動をいじめてしまう側の気持ちを傾聴の観点から紐解いてみました。その記事はこちらをご覧ください。
騒動の後遺症はあまりにも大きく、今でもその衝撃が残っています。この状態で東京オリンピックが開催されてしまうことに戸惑いもあります。それでもここまで来てしまったので、感染対策をきちんとしながら自宅でテレビを見ながらオリンピックを楽しんでいただきたいです。
話を戻しますが、そもそも今回のいじめ騒動は今から25年以上も前の雑誌の掲載から始まり、実際のいじめ行為は今から30年以上も前の話になります。この時間の経過に注目して社会学者の古市憲寿氏がコメントを出しました。今回は、このコメントの内容を通して傾聴ができることをご説明いたします。
目次
古市憲寿氏のコメントから分かること
古市憲寿氏がTwitterで発表したコメントについて
まず、古市憲寿氏がTwitterで発表したコメントをご紹介いたします。下記をご覧ください。
「死ぬまで(もしくは死んでも)誰かを許さない社会は、やっぱり違う」
「何かの理由があるとして、糾弾し続けるのは違う。実際『正義』の暴走は、いくつもの不幸な事件を生んできた。『あなた』は新しく誰かが傷ついたり、死んだりするのを見たいのだろうか。そうではない社会の変え方というのもあるよね」
30年以上も前の世の中と今の世の中は随分と変わってきていると思います。それが一番顕著に表れているのが、コンプライアンス(法令順守)という考え方になります。いろんな意味で今の世の中はより正しい方向に進むべきであるという風潮が強くて、少しでも横に逸れてしまうと批判や炎上そして糾弾という形で攻撃を受けてしまいます。古市憲寿氏はこの点に警告を鳴らしていると思われます。
何故、警告を鳴らすのか?
かなり昔の話とはいえ、小山田圭吾氏の行為は確かに許されることではありません。ただ、まだ未成年のときのことでもありますし、それを30年以上も時間が経っていることに対して世間から袋叩きに合ってしまうというのは、それはそれで違和感もあります。確かにやってしまったことは絶対にいけないことですが、特に犯罪ということで当時処罰されたわけでもないです。にもかかわらず、このことをいつまで背負わなければならないのか?という疑問も残ります。
正しくないことをみんなが一斉に叩くことが「正義」というのであれば、それは本当の「正義」なのでしょうか。この風潮に対して、古市憲寿氏は待ったを掛けたかったのでしょう。マスコミや各著名人が一斉に小山田圭吾氏を叩くことが善ではありません。糾弾し続けるというのは、また新たな被害者を生んでしまうという危険性にも目を向けるべきではないでしょうか。今回の騒動で、もし小山田圭吾氏が命を落とすということにでもなったら、一体誰が責任を取るのでしょうか。
過ちを認め、またやり直すことができる社会であって欲しい
こうなってしまった以上、小山田圭吾氏はしばらくは表舞台での活動は難しいかと思います。既に受けている仕事のほとんどは降りたり、キャンセルになったり、社会的制裁が始まっています。今回の騒動の内容があまりにも衝撃的であったので、一生表舞台では何もできなくなってしまうのかもしれません。これはこれでとても複雑というか、過ちをしてしまったらもう二度とやり直すということはできないということです。もちろん程度の違いはありますが、基本的には過ちを認め、反省・更生した人に対してはまたやり直すことができる社会であって欲しいと思います。
古市憲寿氏のコメントから傾聴ができること
傾聴は自分自身の振り返りができます。そのなかで、自分を責めたり、後悔したり、反省したり、いろいろな自分に出会えます。それでも傾聴の世界は否定したり、ジャッジしたりする世界ではありません。今のあなたをそのまま認め、許し、受け入れる。そんな世界です。ここでもう一度、古市憲寿氏のコメントを引用いたします。
「死ぬまで(もしくは死んでも)誰かを許さない社会は、やっぱり違う」
「何かの理由があるとして、糾弾し続けるのは違う。実際『正義』の暴走は、いくつもの不幸な事件を生んできた。『あなた』は新しく誰かが傷ついたり、死んだりするのを見たいのだろうか。そうではない社会の変え方というのもあるよね」
これは今の実生活から見たときの傾聴が目指す世界そのものであると思っています。傾聴の世界は自分のやってしまったことがいつまでも許されない世界や、誰かに糾弾されて、正義に対して傷ついたりする世界ではありません。だからこれから先、実生活を生きていくなかで、古市憲寿氏のコメントの内容は非常に重いものがあります。傾聴はあなたを「正義」の暴走でジャッジすることはないですし、またそういう誰かを生み出すこともありません。傾聴とは、自分が今の自分自身と対話をし、悩み抜きながらもそのプロセスを味わうものです。だからやり直しができないということはないのです。どんなときも傾聴は、あなたのそばにいつも居てくれます。
併せて、傾聴とは?の記事もご覧ください。
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