コロナ禍のさまざまなストレスに傾聴が向き合うことができるのか?

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目次

コロナ下における傾聴の必要性について

「ごめん、コロナにかかった。」

 

身近な人から突然このようなことを言われた時、あなたはどうしますか?

 

「いつかかったんだろう?」「誰から移ったのだろう?」「自分と相手は直近でいつ会っただろう?」

 

色々な考えや感情がめぐると思います。実はこの記事を書いている4日前、私の友人から実際にこの連絡が来ました。もちろんもっと詳細に書かれていたのですが、いざそれを聞かされると、思考は止まってしまうものです。

誰もが同じストレスを抱えるようになってしまった

今までの私たちの生活になかったもの、それは間違いなく「新型コロナウイルス」です。このウイルスの発生によって、私たちの生活は一変してしまいました。

 

普段の生活でマスクは当たり前。県外への旅行はまだしも、飲食店などへも気軽に行けず、外出さえも控えるように言われています。仕事面でも、なるべく自宅で行うように言われ、企業によっては事務所を引き払って完全にリモートのみに切り替えてしまったところもあるくらいです。

 

今まで通りの生活ができない。今の時代に沿うような生活リズムに何とか変えようとしてもどうしても不自由な部分が出てきてしまい、それはストレスとして徐々に溜まっていきます。今の時代でこのストレスを抱えていない人はほぼいないのではないでしょうか。

 

ストレスというのは、本来は家族や友人など、近しい人に相談をすることである程度発散することができます。ですが今の状況では、相手も同じストレスを抱えています。そうなると、相談をしたとしても、された側も同じ立場にいるわけですから、ストレスの解消というのはかなり難しくなります。

コロナのストレスに傾聴で向き合うことができるのか

ここで冒頭の話題に戻します。コロナにかかったと友人に言われた時、私は確かに少しの間思考が止まってしまいました。そして次に考えたことは、その友人と直近でいつ会ったかということです。ちなみにその友人とは1ヶ月ほど会っていなかったため、自分にうつっている心配はなく、すぐに冷静になれました。

 

この時点で、私が傾聴カウンセリングというものに出会っていなかったら、とにかく慌ててしまっているだけだったと思います。ですが傾聴という面で考えてみると、意を決してコロナであると明かしてくれた友人のストレスや不安は相当なものだったと思います。

 

私に明かしたことによって、私にどう思われるのか。不注意にコロナにかかってしまったことで、もしかすると今後距離をおかれてしまうのではないか。友人にはきっとこの思いがあったはずです。そしてそれは私と友人の間に限らず、日本中で、いや世界中で起こっていることです。

 

もしかしたらそれがきっかけで仲がこじれてしまった人がどこかにいるかもしれない。そもそも言えずに苦しんでいる人もいるかもしれない。そう思うと、友人のその言葉を、私は傾聴を通して聴かなければと思いました。

 

結論を言うと、私はそれ以上深く詮索することはしませんでした。傾聴をするだけ。あえて深く聴くことをやめるというのは、一見すると傾聴とは真逆の行動かもしれません。

 

ですが聴きすぎることでよりストレスが溜まってしまうこと、そして聴かないことで相手のストレスを和らげることもできると思っています。

 

今はとにかく友人が安静に、そして回復してくれるのを静かに待つばかりなのですが、それと同時に、いざコロナが本当に身近に来た時、改めて傾聴カウンセリングの繊細さ、重要性を知ることができました。

 

併せて、傾聴とは?の記事もご覧ください。

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